1982年。前年に創設されたジャパンカップの衝撃で意気消沈する日本競馬界。新規参入してきた巨大資本の新生園が「打倒、社台!打倒、世界!」で本格始動。
はじめてのコースポ。WP世界を素敵に彩るコースポを堪能するは馬主ライフの醍醐味。
秘書をきっかけに、テンプルファームの主軸牝系として「華麗なる一族」を
即決即断、大枚はたいてハギノトップレディ獲得。
作十郎先生との出会いの為にゲットした未知数馬 ベルナルドゥス が記念すべき「所有馬初出走で初勝利」をもたらす。
馬名はテンプル騎士団の初期支援者である「クレルヴォーのベルナルドゥス」から。
なんと、いち早く最も知り合いたかった領家調教師が自ら来訪の幸運。
数か月後には、こちらも会いたかった山内研二騎手も来訪。騎手としてより調教師として魅力な人材。反社台の早田牧場とも付き合いがあり、ダーレーにも一目置かれ、一時は「非社台の星」に。
吉永正人騎手を背に順調なミスターシービー、
テンプルファーム初G1獲得を海外で達成すべく渡欧。
初の海外レース参戦にして4番人気と割と高評価も、
見せ場なし。
人気は下げたが意地をみせたい所も、、、
テンプルファーム初の欧州遠征は不発。
ジャパンカップは当年の凱旋門賞馬 エイプリルラン 参戦が決定。
祝永氏にはフロックと見なされたようで、実力的には ジョンヘンリー が最右翼評価。
結果はまた別の招待馬。何にせよ日本馬勝利は果たされず、競馬関係者達の悲願は持ち越しに。
サンエイソロン は1番人気の当年凱旋門賞馬よりも上位の2着で、あと一歩だった感。
さて一方、ミスターシービー陣営に大きな動き。
欧州遠征の結果、そして、最終的には「来年の三冠挑戦、このまま吉永で挑むより、武で挑んだ方が仮にダメでも悔いが残らない」という武作ライン重視のオーナー判断で、吉永正人から武邦彦に乗り替わり。
乗り替わりの不安や批判を払拭する為、テンプルファーム元年のG1獲得を懸け、勝っておきたい朝日杯FS!ここが初年度、本年のクライマックス!いよいよ出走。
お見事っ!
小林稔調教師の「お墨付き」も発動し、正式決定。
そもそも、血統的な相性も良かったようで、いざ、来年の本番へ。
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